亀田戦と写真

亀田戦が終わってから、ネット上が騒々しい。
態度が不遜だ、嫌いだったという声が、疑惑?の判定の尻馬に乗って流れてくる。
そんなもの、どうでも良いではないか。

ボクサーはリングで、役者は舞台で、野球選手はグランドで、議員は議場で、表舞台で輝けばよい。
舞台裏では不道徳でもいいじゃない。人間なんだもの。
大統領に隠し子発覚!→それがどうしたの?て大人の対応をする国もある。


日本人は過程に拘りすぎるような気がする。
努力しました、頑張りました。それが大切?結果が伴わなければダメじゃん。
しくじった時の言い訳を用意しているように見えちゃうよ。


同じことが写真にも言えるなぁ。この風景は数ヶ月通い詰めて撮りました。だからどうなの?頑張ったねぇ、と言って欲しいのかしら。
チャンスは、通い詰めた人にも、たった一度訪れた人にも等しく訪れるものではないかな。それをモノに出来るかはその人次第。


寒かっただの、風の音が凄かっただの、テキストを付けるのも本当は嫌い。
報道写真や図鑑写真、テキストの添え物写真は別として、
写真は、そのものを見て、見る人のレセプタにハマればそれで良しと思っています。
ゴテゴテとテキストを付けるくらいなら、それが不要な位、温度や湿度、音や匂いが感じられる写真を撮りたい。
それが無理なら、別に写真なんていう表現方法に拘らなくてもいいと思う。